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畢卓伝
訳出担当 辰田 淳一
畢卓字茂世,新蔡鮦陽人也.父諶,中書郎.卓少希放達,為胡毋輔之所知.太興末,為吏部郎,常飲酒廢職.比舍郎釀熟,卓因醉夜至其甕間盜飲之,為掌酒者所縛,明旦視之,乃畢吏部也,遽釋其縛.卓遂引主人宴於甕側,致醉而去.
畢卓は字を茂世といい、新蔡の鮦陽の人である。父は畢諶といい、中書郎だった。畢卓は若い頃から自由気ままであろうと願い、それにより胡毋輔之の知るところとなった。太興年間(注1)の末、吏部郎となったが、常に酒を飲んでいてクビになった。隣家の男が仕込んだ酒がよく熟していた。畢卓は酔っぱらって夜にその甕の部屋にやってきて盗み飲みし、酒を管理していた者に縛られた。翌日の朝に見に来るとなんと畢吏部だったので、慌てて戒めを解いた。畢卓はそのまま主人と甕のそばで宴会をして、へべれけに酔って帰った。
卓嘗謂人曰:「得酒滿數百斛船,四時甘味置兩頭,右手持酒杯,左手持蟹螯,拍浮酒船中,便足了一生矣.」及過江,為溫嶠平南長史,卒官.
畢卓はかつて人に言った。「酒数百斛(註2)を船にいっぱいに満たし、昼夜問わず両側に甘い物を置き、右手に杯を、左手に蟹のはさみを持ち、酒船のなかを泳いでおれば、もうわしは一生を終えても満足じゃ」長江を渡った(註3)後、温嶠により平南長史となり、官職に就いたまま亡くなった。
(註1)318年~321年。
(註2)1斛=10斗=1石=約20リットル(魏)。つまりこの量だとだいたい4~6キロリットル程度である。
(註3)東晋の建国のこと。
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